ドン・ネルソン

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ドン・ネルソン
Don Nelson
引退
ポジション SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1940-05-15) 1940年5月15日(83歳)
出身地 ミシガン州マスキーゴン
身長(現役時) 198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 95kg (209 lb)
キャリア情報
出身 アイオワ大学
永久欠番 セルティックス  19 
選手経歴
1962-1963
1963-1965
1965-1976
シカゴ・ゼファーズ
ロサンゼルス・レイカーズ
ボストン・セルティックス
指導者経歴
1976-1987
1988-1995
1995-1996
1997-2005
2006-2010
ミルウォーキー・バックス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ニューヨーク・ニックス
ダラス・マーベリックス
ゴールデンステート・ウォリアーズ
受賞歴

選手時代

コーチ時代

Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
FIBAバスケットボール世界選手権
1994 カナダ バスケットボール

ドナルド・アーヴィド・"ドン"・ネルソン (Donald Arvid "Don" Nelson, 1940年5月15日 - ) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手であり、NBAゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチなどを務めた。選手時代はボストン・セルティックスの1960年代後半から70年代前半の優勝時のメンバーの一人であり、コーチとしてはミルウォーキー・バックスの80年代の黄金期を創りだすなど実績を残している。また、最初にポイントフォワードの概念を導入したことでも有名である。ミシガン州マスキーゴン出身。バスケットボール指導者ドニー・ネルソン(現ダラス・マーベリックスGM)の父親である。2012年、バスケットボール殿堂入りを果たしている[1]

経歴[編集]

選手経歴[編集]

1962年アイオワ大学時代

ネルソンはアイオワ大学時代から頭角を現した。カレッジ時代の成績はゲーム平均21.1ポイント、10.9リバウンドをマークしている。

NBAへは1962年NBAドラフトの3巡目でシカゴ・ゼファーズに指名され入団する。1964年にはロサンゼルス・レイカーズに売られて移籍する。レイカーズでは2年間プレーをし、1966年より1976年に引退するまでボストン・セルティックスに在籍した。セルティックスのメンバーとして1965-66、1967-68、1968-69、1973-74、1975-76シーズンの5度のNBAチャンピオンシップ制覇を経験している。

コーチ経歴[編集]

引退後、ネルソンは1976年からミルウォーキー・バックスにゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチとして着任する。バックスはネルソン指揮の下、ポイントフォワードのシステムを導入した攻撃的なチームとなりプレーオフの常連となる。1987年に辞任するまでの11シーズンで50勝以上勝利をあげたシーズンは7シーズン、NBA最優秀コーチ賞を2度受賞している。

1年間休養をとった後、1988年から1995年まで、ゴールデンステート・ウォリアーズヘッドコーチを務めた。この時のアシスタントコーチには、後に最優秀コーチ賞を3度受賞しているグレッグ・ポポヴィッチがいた。1994年にはアメリカ代表チームのヘッドコーチを任され、トロントで行われた世界選手権で優勝まで導いた。1995年からニューヨーク・ニックスのヘッドコーチに就任するが、シーズン中に解任されている。1997年からはダラス・マーベリックスのゼネラルマネージャー兼ヘッドコーチに就任する。スティーブ・ナッシュダーク・ノヴィツキーを擁しマーベリックスは2000年代前半プレーオフの常連となるが、NBAチャンピオンシップ優勝までは手が届かなかった。 2005年にマーベリックスのヘッドコーチをエイブリー・ジョンソンに譲り、1年間休養した後の2006年から2010年までウォリアーズのヘッドコーチに就任している。

1996年にNBAの史上最も偉大なコーチ10人の1人に選出されている。

指導方針[編集]

ネルソンはラン・アンド・ガンと呼ばれる速攻主体のアップテンポな攻撃的なスタイルを用いる。

そのため所属チームの選手に偏りが見られるが、攻撃的なチームを作る上で彼の右に出るものはいないと言われている。

またNBAに馴染める無名の選手や欧州などの海外出身選手を見つけその才能を開花させる手腕にも長けている。彼が指導した シャルーナス・マルチルリョーニスラトレル・スプリーウェルスティーブ・ナッシュダーク・ノヴィツキーなどはネルソンの指導によってスター選手になったと言っても過言ではない。

また奇策を用いることでも有名。 対戦相手にフリースローの苦手な選手がいると故意にファウルをしフリースローを与え、その選手が外す可能性に掛ける作戦を用いた。デニス・ロッドマンシャキール・オニール相手にこの戦術を多用した。(ハック・ア・シャック

成績および受賞歴[編集]

プレイヤー部門[編集]

プレイ期間と通算成績[編集]

得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである[2]

レギュラーシーズン (14シーズン) ポストシーズン (11シーズン)
1,053試合総計 ゲーム平均 40分平均 150試合総計 ゲーム平均
ポイント数 10,898 10.3 20.1 1,577 10.5
リバウンド数 5,192 4.9 9.6 719 4.8
アシスト数 1,526 1.4 2.8 210 1.4

主な受賞トピックス[編集]

  1. FG成功率リーダー:1回 (1975年;53.9%)

コーチ部門[編集]

在籍チームと通算成績[編集]

10シーズン総計 - 1,190勝 880敗 (勝率.575) [3]

  • 1977年-1987年:ミルウォーキー・バックス 540勝344敗 (勝率.611)
ディヴィジョンプレーオフ進出9回
  • 1989年-1995年:ゴールデンステート・ウォリアーズ 277勝260敗 (勝率.516)
ディヴィジョンプレーオフ進出4回
  • 1995年-1996年:ニューヨーク・ニックス 34勝25敗 (勝率.576)
  • 1998年-2005年:ダラス・マーベリックス 339勝251敗 (勝率.575)
NBAカンファレンスファイナル進出1回、ディヴィジョンプレーオフ進出3回

主な受賞トピックス[編集]

  1. NBA最優秀コーチ賞:3回(1983年、1985年、1992年)
  2. NBAトップ10偉大なコーチ:1996年

ヘッドコーチ実績[編集]

NBAヘッドコーチ実績表略号説明
レギュラーシーズン G 試合数 W 勝利数 L 敗戦数 W–L % レギュラーシーズン勝率
ポストシーズン PG 試合数 PW 勝利数 PL 敗戦数 PW–L % プレイオフ勝率
チーム シーズン G W L W–L% シーズン結果 PG PW PL PW–L% 最終結果
バックス 1976–77 64 27 37 .422 6th in Midwest プレーオフ不出場
バックス 1977–78 82 44 38 .537 2nd in Midwest 9 5 4 .556 カンファレンス準決勝敗退
バックス 1978–79 82 38 44 .463 4th in Midwest プレーオフ不出場
バックス 1979–80 82 49 33 .598 1st in Midwest 7 3 4 .429 カンファレンス準決勝敗退
バックス 1980–81 82 60 22 .732 1st in Central 7 3 4 .429 カンファレンス準決勝敗退
バックス 1981–82 82 55 27 .671 1st in Central 6 2 4 .333 カンファレンス準決勝敗退
バックス 1982–83 82 51 31 .622 1st in Central 9 5 4 .556 カンファレンス決勝敗退
バックス 1983–84 82 50 32 .610 1st in Central 16 8 8 .500 カンファレンス決勝敗退
バックス 1984–85 82 59 23 .720 1st in Central 8 3 5 .375 カンファレンス準決勝敗退
バックス 1985–86 82 57 25 .695 1st in Central 14 7 7 .500 カンファレンス決勝敗退
バックス 1986–87 82 50 32 .610 3rd in Central 12 6 6 .500 カンファレンス準決勝敗退
ウォリアーズ 1988–89 82 43 39 .524 4th in Pacific 8 4 4 .500 カンファレンス準決勝敗退
ウォリアーズ 1989–90 82 37 45 .451 5th in Pacific プレーオフ不出場
ウォリアーズ 1990–91 82 44 38 .537 4th in Pacific 9 4 5 .444 カンファレンス準決勝敗退
ウォリアーズ 1991–92 82 55 27 .671 2nd in Pacific 4 1 3 .250 ファースト・ラウンド敗退
ウォリアーズ 1992–93 82 34 48 .415 6th in Pacific プレーオフ不出場
ウォリアーズ 1993–94 82 50 32 .610 3rd in Pacific 3 0 3 .000 ファースト・ラウンド敗退
ウォリアーズ 1994–95 45 14 31 .311 (辞任)
ニックス 1995–96 59 34 25 .576 (解雇)
マーベリックス 1997–98 66 16 50 .242 5th in Midwest プレーオフ不出場
マーベリックス 1998–99 50 19 31 .380 5th in Midwest プレーオフ不出場
マーベリックス 1999–00 82 40 42 .488 4th in Midwest プレーオフ不出場
マーベリックス 2000–01 82 53 29 .646 2nd in Midwest 10 4 6 .400 カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 2001–02 82 57 25 .695 2nd in Midwest 8 4 4 .500 カンファレンス準決勝敗退
マーベリックス 2002–03 82 60 22 .732 1st in Midwest 20 10 10 .500 カンファレンス決勝敗退
マーベリックス 2003–04 82 52 30 .634 3rd in Midwest 5 1 4 .200 ファースト・ラウンド敗退
マーベリックス 2004–05 64 42 22 .656 (辞任)
ウォリアーズ 2006–07 82 42 40 .512 3rd in Pacific 11 5 6 .455 カンファレンス準決勝敗退
ウォリアーズ 2007–08 82 48 34 .585 3rd in Pacific プレーオフ不出場
ウォリアーズ 2008–09 82 29 53 .357 3rd in Pacific プレーオフ不出場
ウォリアーズ 2009–10 82 26 56 .317 4th in Pacific プレーオフ不出場
キャリア 2,398 1,335 1,063 .557 166 75 91 .452

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Basketball Hall of Fame: Don Nelson inducted”. mercurynews.com (2012年3月26日). 2012年3月28日閲覧。
  2. ^ Basketball-reference.com Don Nelson Statistics より引用。Feb 27, 2007
  3. ^ Basketball-reference.com Don Nelson coaching record より引用。Feb 27, 2007

外部リンク[編集]